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歴史と自然

私を自由にしてくれる 束草

沿革

束草という名称に関して現在確認することのできる最も古い記録は、朝鮮英祖36年(1760年)に編纂された『與地図書』で 束草は朝鮮時代には襄陽都護府小川面束草里という一つの洞里だった。
先史 B.C. 1000 前期青銅器文化形成
  先史時代原住民居住
(青銅器時代の住居地および遺物発見:朝陽洞、章沙洞、道門洞)
古代 551(?) 新羅 真興王12年、 高句麗から新羅領域に編入
757 新羅 景徳王16年、 翼嶺縣
中世 995 定宗 14年、 朔望道 翼嶺縣
1018 顕宗 9年、 東界 翼嶺縣
1221 高宗 8年、 翼嶺縣から襄州に昇格
1257 高宗 44年、 襄州から徳寧縣に降等
1260 元宗 1年、 徳寧縣から襄州に回復
近世(朝鮮) 1397 太祖 6年、 襄州が府に昇格
1413 太宗 13年、 襄州府から襄州都護府に改称
1416 太宗 16年、 襄州都護府から襄陽都護府に改称
1618 光海君 10年、 襄陽縣に降等
1623 仁祖 1年、 襄陽都護府に回復
1688 粛宗 14年、 襄陽縣に降等
1697 肃宗 23年、 恢复为 襄 阳 都 户府
1783 定祖 7年、 襄陽縣に降等
1792 宗祖 16年、 襄陽都護府に回復
1895 高宗 32年、 襄陽都護府から襄陽郡に改称
現代 (1910~1950) 1914.3.1 襄陽郡12の面のうち、郡内面(府内面)・部南面・位山面が襄陽面に、東面・南面が巽陽面に、降仙面・沙・面が降・面 に、道門面・小川面が道川面に統合されることによって、西面・縣北面・縣南面とともに7の面に再編される。 (杆城郡と高城郡が併合され杆城郡となる)
1919 杆城郡が高城郡に改称される
1937.7.1 土城面・竹王面が襄陽郡に併合道川面が束草面へと改称される。 (面事務所が大浦里から束草里に移される)
1942.10.1 束草面が邑に昇格(府令 第14条)
1945.8.24 共産治下に入る
現代 (1950~2000) 1951.1.8 国軍進駐によって軍政が実施されることで再び邑に復活
1954.10.21 襄陽郡束草邑となる(法律 第350号)
1954.11.17 民政 委譲
1963.1.1 束草邑から市に昇格(法律 第1176号)
1973.7.1 高城郡土城面章川里、沙真里が章沙洞に編入(13洞) → (大統領令 第6542号)
1983.2.15 襄陽郡降面サンボク里の一部地域が雪嶽洞に編入 (法定洞 14洞、行政洞 13洞) → (大統領令 第11027号)
1990.4.1 法定洞の沙真洞と章川洞が章沙洞に統合 (法定洞 13洞、行政洞 13洞) → (市条例 第1293号)
1998.10.17 '98年、洞の統廃合で行政洞が13洞から8に調整され、法定洞13洞、行政洞8洞として現在にいたっている。 → (市条例 第1657号)
 

行政洞 統廃合内訳

  • 永朗洞と章沙洞が 永朗洞に、
  • 中央洞と琴湖洞が 琴湖洞に、
  • 青鶴洞と校洞の一部が 校洞に、
  • 盧鶴洞と校洞の一部が 蘆鶴洞に
  • 青湖洞と朝陽洞の一部が 青湖洞に、
  • 大浦洞と道門洞と雪嶽洞が 大浦洞に

市昇格以後の変化

区分 1962年 1994年
(民選市政出帆前)
2002年 2003年
人口 50,703 人 78,622 人 90,029 人 89,047 人
世帯 104,64 世帯 24,414 世帯 33,258 世帯 33,848 世帯
予算規模 25 億ウォン 67,500 億ウォン 146,700 億ウォン 160,700 億ウォン
住宅普及 - 19,561 棟 31,460 棟 30,495 棟
自動車 92 台 13,132 台 26,848 台 27,598 台
道路延長 47.1 ㎞ 91.13 ㎞ 115.4 ㎞ 241.8 ㎞
上水道 2T/D 41T/D 49T/D 49T/D
教育施設 12か所 36か所 34か所 35か所
保育園 - 14か所 74か所 80か所
医療機関 19か所 54か所 92か所 95か所
宿泊施設 44か所 231か所 249か所 236か所
만족도 조사